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ハイテンションの芝居

  • 執筆者の写真: 正文 知念
    正文 知念
  • 2014年10月8日
  • 読了時間: 1分

鳥獣戯画はハイテンションの芝居を身上にしている。だから、俳優たちは声を振り絞ろうとしがちだ。しかし、それは違う。ドラマがハイテンション、心情がハイテンション、であることを求めているのだ。役へのギリギリの肉薄、過不足のないジャストの演技、を狙うのには少しの気の緩みも許されない。けれど、それは終始、激昂、悲嘆、爆笑を意味しているわけじゃない。怒りにしても、悲しみにしても、笑いにしても、濃淡、強弱、深さ浅さがあり、それだけでなく、混じり合っている。その微妙なことを実現するためのハイテンションを要求しているのだ。要は、ドラマを理解し、役を作り、生きる、ことなのだ。

「沖縄・島言葉の楽園」を見た。沖縄には、80の言語があるという。互いに理解出来なければ、それは方言ではなく言語だ。孫が理解出来なければ、それは絶滅言語で、急ぎ救済しなければならない、というユネスコの職員の指摘は正しい。そして、島言葉を絶滅させようとしているのは、新旧の日本政府に他ならない。

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